ディスタンクシオン 何やねん
山行予定が風邪で流れてしまったGW。読書はあまりしないのですが、寝る以外にできる事もなく退屈なので、以前から読もうと思っていた本を手に取ってみました。フランスの社会学者ピエール・ブルデューが提唱する「ディスタンクシオン」という概念を紹介したNHK番組を本にまとめられたもの。自分の思い描いている趣味や嗜好も、実は社会の影響によって規定されているという話でした。
正直言って、その話を聞いたときには反発心を覚えました。本能的に批判したくなって、アマゾンで本を買ってほったらかしにしておいたものです。
私は、高校生の頃は、全く無気力な人間で何をしてもつまらないと感じていました。そんな無気力状態の私が、突如として、木が沢山あるところに行きたい、山に行ってみたいという想いが沸き上がりました。いまでも不思議に思うのですが、本能的な欲求に近いものでした。初めて山梨県の甘利山ハイキングに連れて行ってもらったときの感動は忘れられません。それ以来、登山にのめり込み、無気力だった自分が変わり人生における一つの転機だったと思っていました。しかし、これがまさかの「ディスタンクシオン」の一環だなんて言われると、ムカついてきます。
私が選んだ登山という趣味、そしてその選択が間違っていなかったという確信は、今でも私の支えになっています。個人の自由意志や主体性はどうなるんだろう、と正直言いたくなります。
かつて夢中になって取り組んでいた登山やクライミングの世界は、無駄だと思える行為に強い意志を持ち、生死にかかわる状況で自己を試し、心と体で成長を感じるものです。学生時代に読んだ中島正宏氏の遺稿集「完結された青春」では、クライミングを通じてニーチェの哲学が分析され、意志力によって自己が形成され、限界を超える葛藤が描かれています。それは「生きる」という事について一つの答えを示していたと思います。登山やクライミングを通じて、意志力を持つことで自己の欲望や目標を達成し、積極的な人生を送ることを学びました。
本を読み始めてすぐに、否定ばかりしたくなってしまったのですが、プルデューが何を言いたいのかを探るために、読み進める事にしました。言いたいことは、自由は単に自分の意志で行動するだけではなく、社会の枠組みによって制約されながらも、それと戦いながら獲得していくものだと。そのことを通じて多様性を重んじる。共感しないけど、なんとなく理解できたような気がします。「ディスタンクシオン」は、社会的な枠組みの中の自分を確認し、他人を理解するものなんだと。
登山やクライミングを通じて学んだ、意志力が自己形成し、限界を超えるという価値観を「ディスタンクシオン」が否定しようものなら許さん、そんな気持ちで読み始めたのですが、譲歩の姿勢も必要だな、凝り固まっているのも良くないなあと。「ディスタンクシオン」が重視する多様性の観点、なるほどね、ふーん。自分と違う価値観にふれるのも読書の魅力の一つですね。
と、大人しくまとめてみましたが、やっぱりディスタンクシオン、好きになれん。